「旧幕末志士が好きすぎて、新幕末志士を見るのがつらい」
これは、そんな私が約5年越しに気持ちに整理をつけ、新幕末志士の動画を楽しめるようになるまでの記録です。
つらかったのは、推しの卒業…というより「推しコンビ」が終わってしまったことでした。
二人並んでゲームをして、息ぴったりのやり取りで笑わせてくれる――そんな時間が、本当に大好きでした。大好きだったからこそ、一人欠けた状態の「幕末志士」を見るのが辛かったんです。
そんな懐古厨だった私が、どうやってその気持ちと向き合って、新しい幕末志士を応援できるようになったのか?
この記事では、私がどうやって「旧幕末志士ロス」を乗り越え、新幕末志士を応援できるようになったのかを振り返ってみたいと思います。
同じように「旧幕末志士が好きだった」「気持ちが整理できずにモヤモヤしている」という方の、何かのキッカケになればうれしいです。
幕末志士とは?
幕末志士は、YouTubeやニコニコ動画で活動しているゲーム実況者のグループです。
もともとは坂本さん(坂本龍馬)と西郷さん(西郷隆盛)の二人組で、2008年頃から史実の坂本龍馬・西郷隆盛に扮して武士のような口調で行うゲーム実況動画を投稿していました。
「スーパーマリオ64」の1upキノコから逃げながらコインを回収する実況プレイ動画「奴が来る」シリーズでブレイクし、シリーズ累計で約4000万回再生を記録するなど、ニコニコ動画の黄金時代を飾っていた人気実況グループです。
幕末志士の魅力は、二人のテンポの良い掛け合いと、ただ実況をしているだけではない友達同士が本気でゲームを楽しんでいる空気感にあります。
実況者として技術的に優れているのはもちろんですが、それ以上に、画面の向こうで笑っている二人のやりとりを見ているだけで楽しい――そんな唯一無二の雰囲気が人気の理由でした。
長年ニコニコ動画の有料チャンネルで「幕末ラジオ」なども配信し、幅広く活動を続けていましたが、2020年に西郷さんが卒業。それをきっかけに、コンビでの活動はいったん終了となりました。
その後は、坂本さんが新メンバーの中岡さんとともに「新幕末志士」として活動を再開。
活動の場をYouTubeに移し、他実況者とのコラボ動画を投稿するなど企画の幅も広がっています。
旧幕末志士の思い出と、懐古厨だった私
私が幕末志士を初めて知ったのは、ニコニコ動画がまだ勢いのあった頃。
坂本さんと西郷さん、二人の掛け合いのテンポの良さとゲームに対する熱量&姿勢に、一気にファンになりました。
チャンネル有料会員になったのはその後すぐ、2016年頃のことだったと思います。毎週の生放送や会員限定プレゼント、動画の更新を楽しみに日々を過ごしていました。
特に私が好きだったのは「坂本&西郷」というコンビそのもの。
実況者というより、ただ友達同士が全力でふざけながらゲームをしている――その楽しさを一緒にのぞかせてもらっているような感覚が心地よくて。
坂本さんが5割、西郷さんが5割、どちらかだけでは成立しない“二人セット”での空気感が、私にとっての「幕末志士」でした。

「僕が幕末、君が志士」…幕末ラジオ第零回(36:23)の坂本さんのセリフです。
しかし、2020年。西郷さんの卒業が発表され、その日常が終わってしまいました。
新しいメンバーとして中岡慎太郎さんが加わり、新幕末志士としての活動がスタートしましたが…。
私はこの5年間、新幕末志士の記念すべき1回目の放送(生放送のアーカイブ動画)を最後まで視聴することができずにいました。
見ようと再生はするんです。
でも、すぐに胸が苦しくなって…「やっぱり無理だ」と思って再生を止めてしまう。
この繰り返しです。
新幕末志士の動画を視聴できない一方で、旧幕末志士の動画は見続けていました。
会員限定の過去動画を繰り返し再生し、ときには笑って、ときには泣いて。
なかでも心に残っているのが、坂本さんが歌詞を書いた曲・実況宣言(「関白宣言」の替え歌/2017年)です。
「実況宣言」は、坂本さんが西郷さんに対して「実況する前に言っておきたいことがある」と前置きしてから本音を話す…といった内容の曲です。
歌詞には「僕にゲームで勝ってはいけない」「お前は家を捨てて僕のところに来たのだから、帰る場所はないと思え」「僕より先に幸せになってはいけない」など、あくまで元の歌詞に沿っているとはいえ、なかなかのワードが散りばめられています。
しかもその曲を西郷さんが歌うのですから、まさに信頼関係があってこそ成り立つものですよね。
何度も何度も聴いたこの曲の中で、
「忘れてくれるな 僕の求める相方は 生涯お前ただ一人」
このフレーズが流れるたびに、毎回のように涙が零れました。
「坂本さんは今も西郷さんを必要としているのではないか…」
私は、西郷さんの卒業という【現実】をなかなか受け止めきれずにいる。
「新幕末志士を素直に応援できない私は、懐古厨なんだ…」と痛感しました。
年月が経っても新幕末志士の動画を見られなかった理由
西郷さんの卒業から、すぐに「新幕末志士」の活動は始まりました。
坂本さんと新メンバー・中岡さんの新体制。応援したい気持ちはあるのに、私は、新幕末志士の動画を最後まで見ることができませんでした。
中岡さんのことが嫌いなわけではありません。
むしろ、西郷さんが抜けることで消えてしまうかもしれなかった「幕末志士」を救ってくれた、救世主だとすら思っています。
中岡さんは、旧幕末志士の動画にも度々出演していました。
※当時は「Nくん」と呼ばれており、新幕末志士加入時に「中岡慎太郎」と改められました。
坂本さん(&西郷さん)とは幼馴染のため相性抜群です!
「新幕末志士」となった二人の掛け合いも楽しいはずだと、頭ではわかっていました。
でも、どうしても動画を見ていると、ふとした瞬間に
「西郷さんだったら、ここでこう返してたな…」
「このくだり、西郷さんがいたらもっと広がったかもしれないな…」
そんなふうに考えてしまう自分がいました。
そしてそのたびに、
「これはもう、ファンとして失礼なのでは?」
…と、自己嫌悪に陥ることもありました。
私は「坂本推し」でも「西郷推し」でもなく、“コンビ推し”だったのだと気づきました。
しかも、5:5のちょうど半分ずつ。どちらかに偏っていたら、もっと早く気持ちの整理がついていたかもしれません。
私にとって「幕末志士」は二人セットで完成する存在だったから、どちらか一方だけが残っても、それを素直に受け止めることができなかったのだと思います。
新幕末志士の動画の視聴にチャレンジする度に込み上げるのは、決して「中岡さんじゃなくて、西郷さんがよかった」という悲しみではありません。
坂本さんの隣にいるのが西郷さんではないことがただひたすらに寂しかったのです。
だから、動画を見ては途中で止めてしまう。再生ボタンを押すことすら躊躇うようになり…時間だけがどんどん経っていきました。
乗り越えたいと思ったきっかけ
ある日、作業用のBGMとして動画を流そうと思いYouTubeを眺めていると、ただ登録しているだけの状態だった「幕末志士チャンネル」が目にとまりました。
西郷さんの卒業からもう5年。
もしかしたら、今なら大丈夫かもしれない。そう思って、久しぶりに新幕末志士の動画を再生してみました。
…けれど、やっぱり途中で停止ボタンを押してしまいました。
「どうして、まだこんなに苦しいんだろう…」
自分でもよくわからないまま、モヤモヤした気持ちを抱えて、なんとなくネットで今の幕末志士について検索してみたのです。
そこで目にしたのは、新幕末志士に対するファンの評価が賛否両論であることや、坂本さんと西郷さんが不仲なのではないかという噂。中には「今は動画でお互いの名前を出すのもNGらしい」という話までありました。
それを見た瞬間、胸がざわざわして、思わず「そんなはずない…!」と感情があふれそうになりました。私の中で幕末志士は「とても仲良しの幼馴染」という印象が強く、信じて疑わなかったからです。
特に“名前NG”という噂に関してはアーカイブが見つからず、真偽もわかりません。
でも、ふと思ったのです。
そもそも、新幕末志士の動画を見てもいない私に、今の彼らのことがわかるはずがないと。
「西郷さんじゃないことが苦しい」「どうしても受け入れられない」
そう言いながら、新しい動画を避けて、過去の動画だけを見ては涙を流している。
これはもう健全なファンの姿ではないと、自分でも気づいていました。
新メンバーの中岡さんに対してとても失礼ですし、今も精力的に活動を続けている坂本さん、そして別名義で別の道を歩んでいる西郷さんに対しても…。
こんな中途半端なまま想いをこじらせ続けているのは、もはや“懐古厨”を通り越して、アンチと紙一重ではないかと感じたのです。
もし過去の幕末志士の思い出を胸にしまい、新幕末志士の動画は見ないと割り切れるのなら、それも一つの選択肢です。
けれど、どっちつかずで未練だけを引きずって、昔の動画にすがりつきながら「受け入れられない」と言い続けるのは…何より自分自身がつらいままです。



自分が大好きだった「幕末志士」のアンチになるなんて…絶対認めたくないです。
だから私は、この気持ちにちゃんとケジメをつけようと決めました。
そして、西郷さんが卒業を発表した当時の生放送アーカイブを、改めてしっかり視聴することにしたのです。
ようやく気づけた「思いやり」のすれ違い、今だからこそ受け止められたこと
卒業理由について、西郷さんは「毎週の生放送をプレッシャーに感じ、自分が疲れてついていけなくなってしまった」「坂本さんに頼り切っている現状が申し訳ない」と話していました。
一方で坂本さんは「西郷はひとりでコンテンツを作る職人タイプ。自分は大勢でひとつのものを作るタイプだから、プロのクリエイター陣と組むことでコンテンツ量とスピードに差が生じて、結果的に西郷が“坂本さんにばかり負担をかけている”、“自分はもう必要ない”と感じてしまったのではないか」と語っていました。
私はどちらかというと西郷さんと似たタイプです。
ひとりで黙々とものづくりをしたい気持ちも強いですし、自分の居場所はないと思ったら身を引いてしまうようなところがあります。
そのこともあって、坂本さんと西郷さんのやり取りに妙に納得してしまったんです。
とはいえ、当時の私はこう思っていました。
「西郷さんはそう思ったのだとしても、坂本さんは西郷さんを必要としていたんじゃないの?」
「きちんと気持ちを伝え合えていなかったんじゃない?」と。



二人が長期間にわたって何度も話し合ったことは放送で聞いて知っていたのですが…きっと、認めたくなかったんです。
でも今は、少しだけわかるような気がします。
片方がどんなに続けたいと思っていても、もう片方が「ここにいられない」と感じてしまったら、それを止めることはできない。
この5年間で、私自身が仕事やプライベートの人間関係のなかで、そうした“噛み合わなさ”を経験したからです。
たとえお互いを大切に思っていたとしても、それでもうまくいかないことはあるんだ、と。
旧幕末志士としての最後の放送のなかで、坂本さんが「仕事仲間だったら、仕事ができなくなった奴は置いていく。でも友達だったら、疲れて動けなくなった相手は担いででも連れて行く。でも、無理やり担いでいくのは違うか…」と話していたのがとても印象的でした。
西郷さんが「自分は負担になってしまうから置いていってほしい」と言ったとき、坂本さんはその思いを尊重して見送ったのだと思います。
当時はどうしても理解できなかった卒業の決断が、今になってようやく腑に落ちた――そんな気持ちになりました。
お互いを思いやったうえでの選択があったんだと、ようやく受け入れられた気がします。
懐古厨を卒業…!推しを「理想」から「現実」へ
不思議なもので、この後はすんなりと新幕末志士の動画を楽しめるようになりました。
坂本さんと西郷さんの掛け合いが唯一無二で大好きだったことに変わりはありません。
でも坂本さんと中岡さんとのやり取りにも、また違った楽しさがあるのだと素直に思えるようになったのです。
(それでもまだ、実況宣言を聴くと涙が込み上げますが…)
かつての私は、幕末志士という推しを“エンターテイナー”として見ていました。
ファンを楽しませてくれる存在、夢を見せてくれる存在。けれど、それを求めすぎて、彼らに理想を押し付けていたのかもしれません。
推しもまた一人の人間です。
葛藤があり、限界があり、それぞれの選択があった。そのことをようやく受け止めることができました。
今は、旧幕末志士にも新幕末志士にも、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
あの楽しい時間をありがとう。今もこうして活動を続けてくれてありがとう。
そして私も、新幕末志士チャンネルのメンバーになって、二人を新たな推しとして応援していきたいと思います。
西郷さんの卒業前後の動画を見返すと決めたとき、心のどこかで“決別する”という選択肢も視野に入れていました。
でもこうしてまた「楽しみ」として新しい動画を再生できるようになって、本当に本当に良かったと思っています。
この気持ちを言葉にできるようになるまで、5年もかかってしまいましたが…
今までも、これからも、幕末志士は私の【推し】です!



センキューセンキューセンキュー!!!
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